元東京外大生が独学でHSK4級合格のためにやったこと全て
皆さんこんにちは、元東京外大生のゆーてん(@yuuuu7en)です。
1/20に受けたHSK(汉语水平考试)4級の結果がようやく今日開示されました。12月からずっと仕事以外の時間はほぼこれの勉強に当てていたので、めちゃめちゃ気になってたやつ。
はい、無事に合格することができました。まずはホッとしています。
この級は、前回受けた3級よりも意識して勉強したレベル。というのも、3級と比べて4級はリスニングが1回だけしか聞けなかったり、読解も分量が増えたり、自由作文が新たに出てきたりと、一気に難易度が上がります。「漢字だから眺めれば大体意味分かりそうだし大丈夫!」ってなレベルでは無くなってくるのです。
4級がどのくらいのレベルなのかが書かれてた
僕も過去問を見てる限り、「これはちゃんとしっかり勉強しとかないとヤバイな」と思いましたね。最初は大学時に使ってたテキストがあるから特に参考書は必要ないやってな感じでしたが、いつまでも文法がイマイチ頭に入ってこなくて、もう少し詳しめの文法書を急遽購入して徹底的に見直しました。
ということで、今回は色々模索した結果、僕なりに生み出した独学で合格するメソッドをご紹介したいと思います。おすすめテキストやウェブサイトも紹介していきます。
まずHSK4級の科目と配点を簡単に紹介すると、
① 听力(リスニング):100点
② 阅读(リーディング、読解):100点
③ 书写(ライティング):100点
の、計300点満点で、全体で6割以上の得点で合格となります。
今回はこの順でメソッドの紹介をしたいと思っています。
听力
リスニングのこと。実は日本人にとって難しい分野だと言われます。というのも、漢字も音にされると全く違う発音になるので。例えば「学校」。文字として見れば一瞬で意味が分かりますが、"xuéxiào(シュエシャオ、これが中国語読み)" と会話で言われると、何の単語のことを言っているのかすぐに出てきませんね。
👉 過去問の音声をひたすら聞いて傾向を知る
過去問を購入することでも得られますが、今はYouTubeにも上がってます。
👉 単語を押さえる
おすすめ教材は『キクタン中国語』。3冊目の初中級まで押さえておけば4級は大丈夫かなと思います。意識する点は、音声から直接単語を連想できるようにすること。"xuéxiào(シュエシャオ)"と聞いて「学校」という文字を瞬時に連想できるまで飽きるまで繰り返し聞き込みましょう。これ正直最初はしんどいです 笑
※ 以下の阅读のところで詳しく説明していますがので詳細はそちらをご覧下さい。
👉 YouTube等を駆使して、ネイティブの発音リズムに慣れる
いわゆる中国語耳を目指すというもの。例えば「可能(kěnéng)」という単語は本来 「可」は3声 "kě" なんですが、ネイティブの流暢な会話を聞いているとテンポが速いので軽声っぽくなってたりするんですよね。この点を意識すれば、多少拼音が違うように聞こえても「この単語のことだ」と推測することができます。
僕の過去のブログでも何度も取り上げていますが、おすすめ動画は『快乐大本营』。先週放送された最新動画をアップしておきます。
阅读
リーディングのことですが、听力、书写と比べて日本人は最も得点しやすい科目だと思います。というのも日本人は既に漢字を知っているので、眺めるだけで何となく意味は理解できるから。この科目は満点を狙いに行きましょう!ここで総得点の大半を稼ぎます。
👉 単語を押さえる
単語帳を購入するのももちろんアリですが、今回オススメしたい方法はYouTube。たまたま見つけて衝撃を受けたのですが、市販の単語帳の音声が丁寧にまとめられた動画があったんですね。
※ 2018年9月21日現在、『キクタン中国語』の動画集は削除されていました!
例えば『キクタン中国語』の場合、初中級編まで動画があります。そのうちの一つがこれ。
テンポの速さもちょうど良い感じで、オススメしたいのはディクテーション(聴き書き取り)。この速さでサッと単語が出て来れればかなり記憶に定着してると思います。
僕もやりました
YouTubeでの語学学習については過去の僕のブログでも取り上げていますが、改めてここでも紹介させて頂きました。
合わせて読みたい👇
👉 関連詞(接続詞)を押さえる
大問2では、文章の並び替え問題が出てきます。3つの文を並び替えて意味の通る自然な中国語複文を作る問題。
ここでのカギは指示代名詞と関連詞。まず指示代名詞が出てきた場合はそれを指す名詞が必ずあるのでそれと繋げましょう。
そして関連詞についてですが、もう型で覚えてしまった方がラクです。「如果~,就...」「因为~,所以...」「除了~,以外...」などなど。中国語の接続表現は実はたくさんあるので最初はなかなか覚えきれないかもしれませんが、過去問を繰り返しやっていけば何度も見ることになるので自然と覚えられるかと思います。
おすすめウェブサイト
👉 過去問や中国のSNS、ウェブから引っ張ってきた文章を声に出してとにかく多読
これで読むスピードがつくのと同時に実際によく使われてる単語なんかの発見にも繋がります。また声に出すことで、意識して頭の中で語順を整理するようになるので、単語や語順がきちんと定着するようになります。
书写
ライティングのことです。まず語句の並び替え問題が10問、与えられた語句を使って写真の状況を説明する問題が5問の計15問。全部で100点満点です。
ここで押さえるポイントは文法です。
文法です!
文法です!!
最重要事項なので3回書きました。というのも、中国語というのが、語順を最も意識しないといけない言語だから。語順によってこれが主語だ、これが目的語だ、というのを決定してるんです。
例えば「我爱你。」は、先頭は「我」だからこれが主語なんだな、という感じ。これを「你爱我。」にしてしまうと意味が変わってきます。日本語みたいに助詞という概念が無いので。
そして語順の規則がじつは結構複雑です(その代わり時制とか活用はありません)。
冒頭で书写では並び替え問題が出題されると書きました。まさに中国語文法の肝である語順が問われるということです。そして4級合格において文法は絶対にやっておくべき理由は、この书写の配点が大きいから。4級の場合、語句の並び替え問題が10問、与えられた語句を使って写真の状況を説明する自由作文が5問あり、新HSK考试评分说明(自测用)によるとそれぞれ1問6点と8点になっているようです。記述といえ並び替えは正解か不正解の二択しか無いので、きちんと押さえておけば点が稼げるし、うろ覚えのまま臨むと一気に落としてしまう設問です。みんなが取ってくる問題は自分も確実に狙っていきましょう。
目安としては並び替え問題は満点、自由作文は部分点を狙っていくと良いでしょう。
僕がオススメするのは、『完全マスター 中国語の文法』と、カエルさんのYouTube動画。
特徴は、赤と黒のシンプルな色分けで見やすいのと、章末問題が付いてるのと、巻末に構文の一覧が掲載されてること。「最強の一冊」と書かれてる通り、これ1冊で文法はかなり網羅できます。
変に色分けしすぎてなくて分かりやすい
书写で出題される語句の並び替え問題が収録されてかなり実用的
構文が一気に見られて復習しやすい
かえるさんのYouTube動画はこちら👇
以上、3つの科目に分けて合格メソッドを説明してきましたが、試験を受ける上でもう一つ重要なのが、過去問を解くこと。
過去問を解く!
過去問を解く!!
3回書きました。もちろん問題傾向を知って時間配分を考えるために使うんですが、とりわけHSKに関してはもう一つ大きな理由があります。
それは過去問と全く同じ問題が出てる場合があること。あるいは語句が少し違うだけで、全体的に聞いてることは一緒な問題。今回僕も過去問全5回分解いてみてたまたま見つけたんですよね。
あれ、この選択肢見覚えあるぞ。えっ、あの時のやつじゃない?
ってな問題。過去問を解く際に是非チェックしてみて下さい。いくつか見つけられると思います。
僕が使った過去問。書店でも見かける公式のものです。
中国語検定HSK公式過去問集4級[2015年度版]音声DL付 (中国語検定HSK公式過去問集2015年度版)
- 作者: 国家漢弁/孔子学院総部,株式会社スプリックス
- 出版社/メーカー: スプリックス
- 発売日: 2016/01/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
HSKは毎月行われていますので、是非トライしてみて下さい!定期的に試験を受けることで、学習するきっかけとモチベーションにも繋がります。
最後にHSKのリンクを貼っておきます。
ツイッター始めました!
アメリカ編【勝手に世界一周振り返り】初めて「暮らすように」旅した場所
僕の世界一周の中で最後の国(※)だったアメリカ。最も楽しみにしていた国の1つだったアメリカ。これまでの海外経験の中で最も渡航回数の多いアメリカ(この旅以前に既に3回行ったことがある)。
※厳密には途中2週間だけ、メキシコ滞在を挟んでいる。ヨーロッパからアメリカに渡り、一旦メキシコに抜けて再びアメリカに戻ってきた形だ。
1歳の時に父の仕事の都合で3ヶ月シカゴに滞在(もちろん僕自身は何も覚えていないが)してから(1回目)、小学校卒業時に初めてロサンゼルスでホームステイの経験をし(2回目)、大学生の頃に家族でハワイ旅行に行ったり(3回目)と、アメリカにはかなり愛着がある。いわば、第二のホーム。
今回の目的は既にはっきり決めていた。ニューヨークのタイムズスクエアを見ること、オーランドのウォルトディズニーワールド(以下WDW)で遊ぶこと、Amtrakの寝台列車に乗ること(旅の模様を過去に part.1, part.2, part.3 に分けてブログで紹介しています)、もう一度ハワイに行くこと。日数的には1ヶ月弱ぐらいを見積もっていた。
しかし南米を諦めた(エピソードはこちら)ことで南米分の1ヶ月が丸々空いてしまい、アメリカをもう2週間、せっかく近いのでメキシコに残りの2週間を振り分け、最終的にアメリカは1ヶ月半と、この旅で最も長く滞在した国となった。実際に過ごしてみると、なかなか消費しきれない(笑)。かといって無駄にどこか行こうという気にもならなかったので、自然とゆとりを持った旅程に。ヨーロッパまでの「目的が済み次第移動する」というスタイルに疲れを感じていたので、これはこれでちょうどよかった。
「暮らすように」とは、具体的に言うと①1ヶ所での長めの滞在と、②何も観光しない、の2点。このスタイルをとったのは、オーランドとハワイ。オーランドは2週間半、ハワイはマウイ島に1週間とオアフ島に1週間の計2週間。
僕が感じた「暮らすように」旅をするメリット
① 休養になる
これまで僕は、「目的を果たしたら次に向かう、せっかく海外に来ているのに何もしないでダラダラいるのって時間の無駄じゃない?宿代ももったいないし。」というふうに考えていた。またこれまでパッケージツアーでしか海外に行ったことがなかったので、なんとなく「海外旅行=短期的」なイメージもあった。ゆえにヨーロッパまではずっとこっちの弾丸スタイルで進んできた。ただこういう弾丸旅行は長期間の旅行になってくると必ず疲れる時がくることを学んだ。
時間の余裕があると、移動も観光も何もしない日を作ることができる。その日は朝10~11時まで寝てても良し、宿でネットサーフィンをするのも良し、SNSで旅の近況を発信するのも良し、近くをふらっと散歩するのも良し。自分だけの時間を作ることでリラックスでき、十分に体を休めることで「よし、そろそろ次に行こうかな!」という気持ちにもなる。
オーランドではWDWの4つのテーマパークすべてに行ってきたのだが、4日連続で行くのはしんどいと思ったので、1つパークで遊んだら1日休んでというふうに1日おきに設定した。2週間半の中で3つの宿に泊まり、宿移動だけの日も作った。
マウイ島では、かつてのハワイ王国の首都だったラハイナの観光とハレアカラ国立公園でハイキングをした以外は、終日宿にいるか近くのショッピングモールまで散歩していた。ハワイは自然が豊かなので山々を撮影したり、ビーチに足をつけて「世界一周ももう終わりか、楽しかったなぁ」なんて考えたりもしていた(ハワイが最終地)。
② その地をじっくり観察できる
時間があれば、街を散策することもできる。歩いていて気になった小道に入ってみると、ガイドブックには載っていないようなお店を見つけることもある。散策すれば土地勘を付けることもできる。
オーランドはWDWがあることぐらいしか知らなくて、実は降り立つまでは全く想像がつかなかった街。「あっ、ここにセブンイレブンあるけどガソリンスタンド兼ねてる...?笑」「このファミレス、昨日も見たな」「こっちのエリアに泊まった方が乗り換えなしでWDW行けるやん、ガイドブックではあっちを推してたけど」「ここの大通り曲がると何があるんだろう」など、かなりの発見があった。
マウイ島でも、畑が広がる田舎道を歩いてみたり、大通りをちょっと寄り道してみたり。そしたら思いがけずにコストコやウォルマートに出くわして、「あっ、マウイにもあるんや!」みたいに。でっかいカートと大量の商品が積み上げられている様がアメリカらしいという点で、コストコもウォルマートも好きなスーパー。
僕がオーランドで泊まってた Palm Lakefront Resort & Hostel というホステル。おそらくオーランド最安値。ここに10泊くらい滞在してた。
ここのホステルのオーナー。10泊もすればそりゃ仲良くなるわな。長い滞在だから成し得ること。現地人と触れ合えることも「暮らすように」旅するメリット。
何車線もある感じが、車社会のアメリカらしさを連想させて、オーランドすごく好きだった。ここだったら住んでも良い。
ハレアカラ国立公園。大自然のデカさとあまりの美しさに言葉を失った。
これはオアフ島で撮ったもの。こうやってサイクリングするのも気持ちよさそうだなぁ。
アメリカは写真が多くて、挙げたのは本当にごく一部。それだけ撮りたいものが詰まってた国だった。多分アメリカは何回行っても飽きないだろう。
「暮らすように」旅をする面白さをここで知ってから、その後の旅にもこのスタイルを意識するようになった。例えば卒業旅行でインド(3週間)とバリ島(1週間)に計1ヶ月の長旅に行ったり。いよいよ来週に迫った中国への旅も2週間と長めにとっている。そのうち三亜に1週間滞在する予定で、特に②を意識した旅をするつもりだ。
おわりに
以上、18回にわたる【勝手に世界一周振り返り】シリーズは今回をもって終了となります。ただの自己満だろ!とツッコまれそうですが(笑)、読んで下さった方、ありがとうございました。
メキシコ編【勝手に世界一周振り返り】報道に流されないで。part.2
メキシコは最初は予定していなかった国。「そういえばアステカ文明の遺跡あるじゃん!ラテンアメリカ史は結構好きだったからせっかく近いしアリだなぁ。」と、後で思い付いて行くことを決めた。ドイツの時もそうだったが、僕が行きたいと思った国は、世界史の影響をかなり受けている。
同時にちょうどこの頃(11月下旬)アメリカでは Thanksgiving Day のムードで、繁忙期を避けたかったのも理由の一つだ。
※ もともとアメリカはフロリダ州オーランドにいて、2週間だけメキシコに移動した形。またアメリカに戻る。
もちろん予習はしていない。そのまま全く想像できない世界に飛び込むのは、恐怖よりも好奇心の方が優っていた。
今回は首都のメキシコシティだけ。ユカタン半島側にもチチェンイッツァというマヤ文明の遺跡があってそちらも気になってはいたが、スペインの一件で移動に疲れていたので、ここに2週間弱(11/18~30)と長めに滞在した。
テオティワカン遺跡の入り口手前にあったサボテン。メキシコ感を感じる。
遺跡内はかなり広大。入場料は64ペソ。メキシコシティのこういう遺跡系や博物館系の入場料はどこも64ペソだった。
最大の目玉、太陽のピラミッド。頂上までは中央に写ってる階段で登らなければならず、かなりしんどかった 笑
メキシコシティは、地下鉄が一律5ペソ(大体1ペソ=7.3円ぐらい)でかなり安い。屋台のタコスも1つ13ペソくらいでリーズナブルで普通に美味い。屋台だろうとお釣りもきちんと返ってきた。初日からなかなか好印象。
初日に適当な屋台を見つけて食べた13ペソタコス。メキシコの食べ物の相場が全く分からなかったので、正直いくらなのかドキドキしたが、思った以上に安くて「えっ、そんなもんなんだ!?」ってなったのを覚えてる。
一つだけ難点なのが、スペインよりもスペイン語しか通じない感じだった。屋台の看板もとりあえずメニューを指差して、出てきたのを見てなんとなく判断する。スーパーでも「〜ペソよ!」と言われても分からないので、適当に大きな紙幣を出して返ってきたお釣りでいくらだったのかを判断する。
机に向かって教科書とノートを広げて先生の話を聞くという、これまでのやり方とは違った形でスペイン語が頭に入ってくる。使うか使わないか分からないような単語ではなく、実際に現地で実用的な単語やフレーズがダイレクトに学べるので効率的だ。naranja(オレンジ)、jamón(ハム)、huevó(卵)、queso(チーズ)、食料関連は必須単語 笑
大きかったのは、イメージと反して現地の人は皆親切で陽気だったこと。メキシコは麻薬や強盗のイメージが付き物だが、それはごく一部のことだったんだなぁと反省。やっぱりメディアの情報が全てだと思うのは危険だなぁ。報道されていない側では、プラスの出来事もたくさん起こってるじゃないか。インターネットの普及で、個人が簡単に全世界に向けて発信できるようになったことで、僕自身これからも生の一次情報を伝えていきたい。
メキシコシティ歴史地区は、夜歩いても全然問題なかった。現地の人は皆、お祭り陽気。
個人旅行には予期せぬトラブルが付き物。ただこの旅で唯一、メキシコだけはホントに一切のトラブルが起こらなかった。自分の中で、もう1回行きたい国ナンバーワンとなった。
スペイン編 18万無駄にしました…
15ヶ国目のスペイン。ここに来た目的は南部の都市グラナダにあるアルハンブラ宮殿に行くこと。世界史の資料集に載っていた写真を見て、一度は行ってみたかったと思っていた場所。
実はそれだけ。もちろんサグラダファミリアとかもっとド定番な観光地がある国だけど、僕はあまり興味がわかなかったので最初からグラナダ1本に絞っていた。
なので旅行記的な内容はそんなに無い。今回は最初にアルハンブラ宮殿を写真で軽く振り返ってから、メインにしたいタイトルの説明をしようと思う。旅人にとっては結構重要な情報になるかと。
ただ1つだけ、アルハンブラ宮殿以外のグラナダでの思い出は、1人の日本人男性と出会ったこと。グラナダのバスターミナルから市内に向かう路線バスを待っている時に、お互いに日本人っぽい顔に気付いて男性の方から声をかけて下さったのが始まり。連絡先を差し控えられたので、以降連絡は取っていないのだが、その方はパリ在住(今もそうかは分からない)の70代の方で、パリにはもう40年くらい住んでいるとおっしゃっていた。以前は旅行会社に勤めていて、毎年のように結構世界各地を回っていたそう(当時も進行中)。まだ紛争沙汰ではない頃のシリアにも行ったことがあるらしい。
宿は別のところだったが、翌日アルハンブラ宮殿にはご一緒させてもらうことに。その方は最初は目視で確かめたいということで必ず現地についてから自分の足で宿探しをするらしい。さすが旅慣れてる方だなぁ。
アルハンブラ宮殿では一つ一つ解説をして下さった。この壁画にはこういう歴史がある、この眺めにはこういう意味合いがある、といった具合に。まさにガイド。いったいどうしたらこんなにペラペラ出てくるのかというぐらいかなり詳しかった。
グラナダまではALSA社のバスで向かう。ネットでスペインでの長距離移動でオススメされてた会社だったので。
グラナダの中心部。10月下旬ながらかなり暖かかかった。天気も良く、写真が映える。
夕暮れのアルハンブラ宮殿。夕焼けが反射する様が綺麗だということで連れて行ってもらった。既に他の観光客も多い。
翌日、いよいよアルハンブラ宮殿の中へ。中は城塞以外にも庭園があったりと、結構広かった。
ちょうど湖面に反射してた
世界史の資料集に載ってたやつ。これが見たくてスペインに来た。
さて本題。宿に帰ると、次の航空券の予約を始めた。行き先は南米ペルー。スカイスキャナーで調べていると、マドリード発マイアミ経由でリマに入るアメリカン航空の便が時間的にも良さげだと判断。何日滞在するかは分からないのでこれまで通り片道のみでの購入。できるなら早く南米に飛びたいという思いもあって、明後日とかなり直前の便だったので値段も178000円と高かった。高いなぁとは思いながらも「まぁ、距離相応なのかなぁ」とも思って予約した。
フライト当日。いつも通りチェックインカウンターに搭乗手続きと荷物預けに行く。15ヶ国目とあって、この辺はさすがに慣れていた。パスポート見せて搭乗券発券してもらって荷物を預けて...っていう流れを何も疑わなかった。ところが...ところが、ね。
係員 :「ペルーのビザは持っていますか?」
俺 :「いや、持ってませんけど」
日本人は183日以内の滞在ならペルーにはビザなしで入国できることは知っていたので、当然持ってない。
係員 :「じゃあ、ペルーを出国するチケットは持っていますか。持っていれば見せて下さい。」
俺 :「いや、それも持っていませんが...」
好きなタイミングで移動するつもりだったので、これまで通り片道切符のみでの旅。ただ今までと違う。すぐに発券してくれないあたり、嫌な予感が募る。案の定、的中。
係員 :「どちらかを見せて頂けないと、搭乗できません。ビザが無理なら出国チケットを今すぐあちらのカウンターで買ってきてください。」
俺 :「はっ...?えっ...?っていっても今すぐ出国日決めれるわけないやん...!ってか日本人はビザなしでペルーは行けるんだってマジで!!」
俺 :「あっ、ボリビアにバスで抜けます」(苦し紛れに言ってみる 笑)
係員 :「そのバスチケットは?」
俺 :「...」(そんなん現地で取るから持ってる訳ないやん)
後ろにつっかえていたのでとりあえず列を外れた。チケットカウンターで買っちゃうか否か迷ってたところ、たまたま日本人に遭遇してペルーの入国条件をスマホで調べてもらった(ありがとうございます!)。やっぱりビザなしで行けるやんか、なんで無理なんや。
その画面を開いたまま、もう1回別の係員で(笑)トライ。なんかの間違いであってくれ、頼む!
俺 :「ほら、日本人はビザなしで行けるって書いてあるやろ!」
係員 :「(もはや呆れた感じで) ノー。ビザか出国チケットがないと乗せられません。」
それ以降はどんなに主張しても無理だった。かといって出国チケットを買う気にもならなかった。結局何もできないまま、搭乗時間が過ぎ、その便には乗れず。
178000円、18万近く無駄にした。
ショックすぎて、ただただ空港で立ち尽くすしかなかった。呆然とするしかなかった。市内にも戻る気にもなれず、幸い無料Wi-Fiがあったのでもう1回別の便で再予約を試そうとも思うも、乗れなかった事実があまりにデカすぎてビビッてしなかった。
これが昼の出来事。そのまま夜まで空港に居留まり、遂に空港泊。親に謝罪の連絡を入れる(家族カードで決済したため)。
翌日、気持ちが落ち着いてからいろいろ調べてみると、出国チケットを見せないと搭乗できない場合もあるという情報も見つかった。その場合は、往復で買っといて片道破棄する(あくまで復路分は出国チケット持ってますよって示す用の意味合い)という手段があることも知った。往復運賃は単に片道の2倍の値段とは限らず、片道プラス1~2万だったり、同じだったり、むしろ安くなる場合もあることも知った。だったら往復で買っといても良かったじゃん、とも学んだ。
そしていくらビザなしで入国できるという事実があっても、チェックインカウンターの人が全ての人のあらゆる国への入国条件なんて熟知してるはずもないのでは?本当かは分からないが、スペイン人の係員が日本人のペルーへの入国条件なんて実は知らなかったのでは、と変に納得してしまった。しかもスペイン-ペルー間のフライトで日本人客の利用は想定しにくい便だし。
とりあえずもう一度市内に戻って、気持ちの整理が付くまでマドリードで過ごした。泊まったホステルでたまたま日本人バックパッカーとの出会いがあったという意味では、これはこれでよかったのかなぁとも思いながら。だいぶ休養にもなったし 笑
そのバックパッカーの方は大学で寿司について研究してて、世界各国で必ず1回は寿司を食べるというテーマで世界一周をしていた。ちょうどマドリードでも寿司巡りをしようとしていて、せっかくなので同行させてもらい、僕も日本食を堪能した。ここの寿司はあまりローカライズな味ではなく、かなり日本に近くない?って思ったのを覚えている。
今度こそ確実に渡りたいという思いで、南米は諦め、5日後にアメリカのニューヨークに進路変更することにした。
フランス編【勝手に世界一周振り返り】最も日本食にがっついた国
14ヶ国目のフランスは、ミラノからEUROLINESの夜行バスで向かった。ヨーロッパの物価が高いのと、フィンランドからイタリアまで割と弾丸で移動してきたのがあって、精神的にも体力的にも疲れていたので、フランスではゆっくりしようと決めていた。訪れた都市は首都パリと南フランスのルルドとトゥールーズ(ルルドへの経由地のためのみ)で、結果的にパリだけで1週間滞在してた形だ。
フランスの目的はパリの王道を巡るのと、母の依頼でカトリック派キリスト教の聖地であるルルドを見てくること。ただ、もう一つ急遽旅中に加えたものがある。
日本食を食べまくること
ドバイあたりから既にちゃんとした日本食(現地人好みの味にローカライズされた日本食は食べてたけども)にありつけておらず、日本食にはかなり飢えていた(笑)。トルコのカッパドキアの宿で、ヨーロッパで日本食を食べられる場所を徹底して探していたものだ。
そこで得たのは、パリのオペラ地区のサンタンヌ通りというところがどうも日本食街らしいという情報。よし、ここで食べまくるぞ。
トルコから約1か月。やっと食べられる時が来た!
実際その日本食街を歩くと、ラーメン、うどん、寿司、丼ものなど、ホントにありとあらゆる「日本」が詰まっていた。日本の惣菜や日本の食材(納豆とかお菓子とか)を売ってるスーパー(Ace Mart)もあった。普通に日本にもある納豆3パックやペットボトルの飲み物が3ユーロ以上してて驚いた。
初日に向かったラーメン屋『ひぐま』で食べたしょうゆラーメンとチャーハン。
たしか2日目に向かった日本食店『かどや』。焼肉丼、味噌汁、サラダを注文。日本で食べる味とそんなに変わらなくて美味しかった。ドレッシングの概念が希薄なヨーロッパで久しぶりにドレッシングを味わえたのも地味に嬉しかった。味噌汁にはこうやってレンゲが咲い付いてくる。
パリのラーメン店です検索するとよく出てきた『こってりらーめんなりたけ』。ラーメンと餃子を注文。ものすごいドロドロなのかと思ったら、普段ラーメンを食べ慣れてる僕らにとっては許容レベルだったように思える。背脂の量を選択できた。この2品で2000円分ぐらい払った記憶がある。海外で食べる日本食は値段が高め。
ラーメン店『サッポロ』。味噌バターラーメンとコロッケ、追加で鶏の唐揚げを注文。味噌バターの懐かしい味が体に沁みた。
和食店『浪花-YA』。肉うどんを注文。出汁の優しい味に感動。どれほど日本食に飢えてたかがよく分かった。
海外に行ってまで日本食を食べるなんてもったいないと出発前は思っていたが、食べてみると面白い気付きもあった。味がローカライズされていること。あくまでターゲットはフランス人。なので、日本食と言えども、彼らの口に合わせる必要があるためだと思われる。
今後スペインとアメリカでは、むしろ意識的に日本食を食べに行った。「スペイン化」された日本食と「アメリカ化」された日本食の味は果たして…?
ギャラリー
ベルサイユ宮殿の「鏡の回廊」
オルセー美術館にて。パリの美術館は基本的に撮影OKなのが良い。
ルルドの写真も。聖ロザリオ教会。たまたまこの中でやってたお祈りの儀式(?)にも遭遇。「ルルドの泉」の水も飲める、持ち帰れる(途中でそれ用の容器売り場がいっぱいあった)。
マサビエルの洞窟
ルルドは動画でも
スイス編【勝手に世界一周振り返り】自然は国籍問わず魅了する
13ヶ国目のスイスは、イタリアのミラノから鉄道で向かった。期間はこの旅の最短となる日帰り。日本だと日帰りで海外に行くというのはなかなか難しいので、そういう点でも違う国同士が陸続きなヨーロッパというのは、島国育ちの僕らにとってかなり面白いのではないだろうか。
目的は世界遺産になっているレーティッシュ鉄道のベルニナ線に乗ってアルプスのパノラマを車窓から見ること。ベルニナ線は普通の在来線とベルニナエキスプレスという特急列車の2種類あって、後者は天窓があったり食事が付いてるらしいのだが、ネットのブログを見ると在来線でも窓は自由に開けられて十分楽しめるとのことだったので、僕は普通に在来線に乗ることにした。
ルートはまず、ミラノ中央駅からスイスとの国境の街ティラーノまで電車で行き(所要約2時間半)、ティラーノからレーティッシュ鉄道に乗り、終点のサンモリッツまで向かうというもの。
日帰りで行くためにはかなり早い便に乗る必要がある。たしか早朝6時くらいの便だった。
この電車でまずはティラーノに
1点だけ注意すべきなのは、イタリアとスイスでは通貨が違うこと。スイスはユーロではなくスイスフランを適用している。今回は日帰りということでスイスフランはあまり残したくない(特に小銭)ということで、必要なものはミラノの時点で購入してからスイスに持ち込んだ形だ。具体的には昼食。僕はミラノ中央駅の売店でパンを買っていった。スイスは物価が高いという意味でも、イタリアで買っておくというのは得策かなぁと思う。
レーティッシュ鉄道もスイスの鉄道なので、チケットはスイスフランでの販売だったが、ティラーノではユーロでの購入も可だった。この時点でもう往復分をまとめて買っておくと良いだろう。仮に片道だけだとサンモリッツでまた買う必要があり、スイスフランを準備することになるから。
ティラーノのチケット売り場
レーティッシュ鉄道ベルニナ線。これは復路時にサンモリッツで撮影したもの。もちろん行きもこれでアルプスを駆け抜ける。
出発早々、有名な橋を渡る
湖もちらほら
影で暗くなってしまったが、湖にそのまま反射してた。道中一番の絶景。
乗客は皆、窓から乗り出す勢いで写真を撮りまくっていた。雄大な自然というのは国籍、言語、宗教、関係なく人を魅了してくれるものだと、この時感じた。
もうすぐサンモリッツ。すでに雲と同等の位置にいる。
サンモリッツにて。かなり寒かったが、天気は快晴でどこを切り取っても綺麗な景観だった。
ちなみにこちらがベルニナエキスプレスの方。窓が天井の淵まで続いてる。写真だけ。復路自体は行き同様に在来線で帰った。
帰りに撮影した分。こんなところにも民家がある。これこそハイジの世界だなぁ。
チケット売り場に日本語の看板があった。多くの日本人観光客が利用しているんだなぁ。
感想
朝早く、日が沈むまでのハードスケジュールだったが、これは時間とお金をかけてでも乗った価値は十分見出せた。スイスで1泊すればもっとゆとりを持てるのかなぁと思う。
イタリア編【勝手に世界一周振り返り】外で100分待機はキツかった…
夜行列車で入国した12ヶ国目のイタリア。ここも初めは予定していなかったが、ちょうどいいタイミングでミラノ万博が開催されてたということで寄ってみた。訪れたのはヴェネツィアとミラノの2つだけ。
これまでヨーロッパでの移動は鉄道がメインだった中、アジア以来の夜行バスを利用した。僕が使ったのはメガバス(megabus)という会社。主にヨーロッパとアメリカで走っているバスで、なんと稀に$1で乗れることもあるという破格のバス会社だ。予約と支払いはウェブサイトからクレジットカードでのみ。トイレやWi-Fi(弱いけど)も搭載していて最低限のものは揃っている。バックパッカーには嬉しい移動手段。
ヴェネツィアからミラノ行きのバスは昼間と夜行の1日に2本出ていた。日中はできるだけヴェネツィア観光に使いたいという理由で夜行の方を選んだのだが、これが後々後悔することに…笑
この便はヴェネツィア出発が午前0時。さすがに10~11時くらいになると辺りは暗いしお店も閉まり始めるため、出発1時間前から既にバス停に行く他ないという状態。大きな荷物を抱えながらひたすらバスを待つ。当然なのだが、夜行だとギリギリまでホテルでゆっくりするというのができないので辛い 笑
15分くらい前にバスがやってきて、定刻には出発した。暗いので景色など見えない。ただひたすら寝る。
予定通りにミラノに着いた。時間は深夜4時20分。この便はもともと終点はミラノではなく、もう少し先のトリノになっており、トリノに朝6時とか7時とか良い感じの時間に着くような時間配分となっていた。ゆえに途中のミラノには中途半端な時間。
バスターミナルが地下鉄ランプニャーノ駅(Lampugnano)に隣接しているのはネットで知っていて、空港の感覚で24時間空いてるものだと勝手に思っていた。夜行にしたのはこの甘い期待があったからでもある。さすがにこの寒い中外で待機ってことにはならないだろう、と。
それが違った。
ランプニャーノ駅は始発の時間に合わせて、朝6時にしか開かないらしい。シャッターが下されてて中には完全に入れないようになっていた。
えっ、マジか…。今4時20分だからあと100分もあるやん。外で待てってことか…。
時期は10月上旬。マイナスとかではないが、十分に寒い時期だった。そして駅付近には明らかにバスの乗客ではなさそうな浮浪者がちらほら。彼らは毛布で身をくるみながらベンチに横たわっていた。
もはや眠さよりも寒さや恐怖心の方がデカい。僕も同じように横になったが、寒くて寝付くことが出来ず。仕方ないのでただひたすら座って待つことにした。
ここから学んだことは、夜行と言えども深夜に着く便はさすがに避けようと思ったこと。たとえ安くても、たとえ日中の時間を有効に使いたかろうと。その後適当な路線で色々調べてみたら、たしかに深夜に着く便もいっぱいある。午前1時とか午前3時とか。
その後も夜行バスはフル活用していく。出発時間や到着時間をきちんと吟味してから。
ヴェネツィアは街中を運河が走っている。できるだけ徒歩で街を散策したかった僕は、橋を渡るのに遠回りしないといけなかったりと、正直僕にとっては不向きな街だった。
イタリア料理は結構食べた。ヨーロッパにはドレッシングというのは概念が希薄で、バルサミコ酢とオリーブオイルと塩で自分で良い感じに味付けする。続くフランスやスペインでも同様だった。
トマトベースのリゾット
ペペロンチーノ
ボロネーゼ。総じて値段は高めで、観光地値段という概念を噛みしめる。
ミラノ万博のチケット
とにかく人が多かった。2時間待ちとかのブースもあったほど。
まず向かったとこ
久々の日本食。5000円ぐらいするも、体に沁みた。
タイブース。このように各国のブースがズラリと並んでいた。